2005年12月31日

●自分のコントロールすることを学ぶ − 箱根駅伝(2)

●1992年〜1998年・第68回〜第74回大会 〜 新旧交代(2)〜 

また、同じく、順大の4連覇以降では、神奈川大学の躍進に目が止まります。
神奈川大学を率いていたのは、
山梨学院の上田監督同様、30歳そこそこだった大後栄治監督。


1989年、17年間箱根から遠ざかっていた神奈川大学に、大後はコーチは就任しました。
就任1年目の1990年の第66回大会では、予選会から参加。
就任3年目の1992年の第68回大会では、18年ぶりの本戦出場を果たし14位。
そこから8位、7位、6位と一歩ずつ、しかし確実に歩みを進めて行きました。
しかし、次の1996年の第72回大会。

当日4区を走る予定だった高嶋選手は2週間前から左足に違和感を感じ、
1週間前からは痛みも出ていました。

本人は「疲労骨折かもしれない」と思ったそうですが、
トレーナーは「疲労骨折ではない」と判断。

そして、レース前日。
走っている時は痛みは全くなかったのですが、終わると少し痛みが出ました。
大後監督は「よくクリームを擦り込んで、マッサージをしとけよ」
と言って終わったそうです。

いよいよ、レース当日。
高島選手は振り返ってこう言っています。

「完璧に舞い上がっていました。その時は本当に大した痛みとは思わなかったんです。
でも今考えると、かなり痛かったんですよね。だって15分で宿舎に戻ったんだから。」

7時15分。大後監督の携帯電話が鳴りました。
高嶋の付き添いの選手からです。高嶋の左足が痛むという内容でした。

大後監督は、今朝トレーナーから言われたことを思い出しました。
「皆、ほぼ万全に仕上がりました。ただ一点気になるのは、高嶋だけです。」

しかし、その15分前に、当日の選手のエントリーは終わっていたのです。
もう選手変更はできません。手の打ちようがありませんでした。

「無理しなくてもいいからなんとかつなげ」としか、大後監督は言えませんでした。

また、大後は別の事を考えていたそうです。
「これ程の痛みが、当日の朝、急に起こる訳ではない。前々から骨に来ていたはず。
走りたいという強い意志と、他の選手に迷惑をかけられないという本人の気持ちの選手が、
辞めたいと思っていても絶対に言って来る訳はない。自分から辞めるなどと言う訳がない。
正に、箱根駅伝とはそういう力をもった大会なんだ。だから、選手に辞めたいと言わせてはいけない。
それを言わせるのは酷だ」と。


結果は、途中棄権。

大後監督、トレーナーの判断は「間違っていた」ということが結論だと思います。
なにせ、一人の怪我が「他の選手の夢を消してしまった」んですから。

しかし、後になってみないと、自分が意固地になっていたり、
わがままになっていたりしたことは、得てして気がつかないものです。


翌1997年の第73回大会。
予選会の大会記録を大幅に塗り替えて神奈川大学は本戦に帰って来ます。

そして、本選では心憎いまでの安定した走りを披露。

4区でトップに立って往路優勝。復路もそのまま逃げ切り、圧勝といえる内容で初優勝でした。
しかも、予選会を経て出場した大学の総合優勝は史上初。

創部65年、1950年に初出場して以来、実に29回目の挑戦でつかんだ栄光です。
そして翌1998年の第74回大会でも優勝し、2連覇。

メンバーのほとんどが、高校時代は、全国大会に出場できなかった無名の選手。
即戦力となる選手が続々と加入する強豪チームに対して、
"無名集団"が地道に努力を重ねてつかんだ栄冠でした。

大後監督は、このように語っていました。

「最初からハイペースで突っ込んでいく走りをするには、
 ウチの選手はまだまだ力が足りません。
 前半はゆっくり入って、15kmから勝負。そういう走りしかできないです。

だから、速い選手というよりも、強い選手を育てようと思ってきました。

そのために、『効率性や合理性を求めたりしちゃだめだ。』と言い続けました。
なぜなら、効率ばかりを考えていると、速い選手にはなれるかもしれないのですが、
強い選手にはなれないと思うからです。

条件が整う時は走れるけれども、自分より強い相手が前にいたり、
風か吹いたり雨が降ったりすると崩れてしまうような選手では、駅伝では意味がありません。

だから、データだけでは信頼はしないです。
自分なりのものを加味しています。
人間を扱う時、データと感性のバランスを取らないと絶対に失敗します。」


更に、続けて、こう語っています。

「選手を育成するために最も大切なことは、レギュラーの選手の指導よりも、
 レギュラーになれそうな選手の指導だと思っています。

 補欠のトップや2番のあたりの子をしっかり指導すると、
 レギュラーの選手が刺激されるし、後ろの選手も希望がわく。


 結果として、2連覇をすることができました。

 しかし、選手を100%追い込むような激しい猛練習をしたかと言えば、そうではありません。
 80%くらいの練習を2、3年積み重ねてきたものが、突然花開いたのかなと思うんです。

 人間というのは、比例的に成長するのではなくって、ある瞬間に急激に成長します。
 そもそも、何でもない人なんかいない。何でもない人でも、
 全部の力を出した時には凄いんです。」

高島選手の怪我による途中棄権から2連覇へ。

大後監督の指導方法は、正しかったのでしょうか?

きっと、「粘り強い安定した心の強い選手」を育てようとした指導法が、
「自主的なオーバーワーク」と「一人ひとりが安定した力」との、
 双方を生み出したのかもしれません。

本当の意味で、「自分をコントロールする」ということは、
「人任せ」ではも、「自分ひとり」でも、できないものであって、
きっと、「お互いが、信頼と思いやりの心をもって、支え合う」ものなのだと思います
posted by 23book at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のスポーツをみて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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