2005年12月31日

●壮絶な掛け値ない勝負−箱根駅伝(4)

●2001年・第77回大会・復路 〜 9区、壮絶・逆転 〜

1999年順大、2000年駒大が優勝し、迎えた2001年第77回大会。

ここでも、順大と駒大の歴史に残る名勝負が繰り広げられます。

「復路の順大」は、復路のスタートの6区で、
宮井将治選手(4年)が中大を抜いて首位に立ちます。
この時点で、ライバルの駒大には3分8秒の差をつけています。

しかし、7区では駒大との差は2分47秒と縮まり、
8区では、駒大との差は27秒にまで接近します。

しかし順大は、勝負の山場となったこの9区にエースを投入していました。2年前、駒大との対決の場となったこの9区で大逆転の快走をした、
エース高橋謙介選手(4年)を投入していたのです。
「高橋で勝負を決める」と沢木監督は考えていたのです。
対する駒大の9区は高橋正仁選手(3年)。

前年では10区で区間賞を取ってはいましたが、
駒大内では4〜5番目の選手と言われていました。

謙介は最初の1kmを、2分42秒。区間新を視野に入れたペース。
対する、正仁は無謀とも言える脅威的なスピードと勇気で、
最初の1kmを、なんと2分35秒で入りました。

2人の差は、4kmでは17秒。最初ほど差が縮まりません。

普通のランナーなら、この膠着状態に根性が続かず、
あきらめの心が出て来て、ズルズルと離れ始めてしまうところ。

しかし、正仁は、さらにペースを上げます。ただ、ひたすら強気の走り。

その差は、5kmで15秒、6kmで10秒と詰まります。
そして、7kmで正仁は謙介にとうとう追いつきます。

謙介はこう語っています。

「区間新を狙っていました。そのためのラップタイムは全て頭に入れていました。

最初の5kmは14分20秒で、2年前に区間新で走った時よりも速いペースです。
自分も区間新を狙えるペースで走っていたので、詰められるようなペースじゃないんです。
でも、後方の声援がだんだん近くなって来る。走っていても半信半疑でした。
まさか追いつかれるとは思っていなかったんです。正直、動揺しました。

なんで追いつかれたんだって、ずっと考えてしまっていました。
相手は30秒の差を一気に詰めてきたのですが、余裕があるみたいだったので、
自分からスパートすることは危ないと思っていました。

また、後ろにつかれているのが嫌だったのでペースを落としたりしたんですが、
そうすると向こうも落とす。本当、イライラしてしまいました」と。

そこから高橋同士、順大の謙介と駒大の正仁、そしてキャプテン同士の、
14.8 kmにも及ぶ、長い壮絶なデッドヒートが始まったのです。

高橋正仁。秋田工出身。
2年の時には、都大路の全国高校駅伝では区間37位。
3年の時には、全国高校駅伝には予選で敗れ、出場できなかった無名の選手。

一方、正仁が区間37位に沈んだ時の優勝校の報徳のエースだったのが、高橋謙介でした。


8.2km。謙介が仕掛ける。しかし、正仁はビクともしない。

11km。正仁が仕掛ける。差は1mほどつく。
しかし、謙介は、そんな弱い選手ではない。順大のエースである。
再びつく。

13.4km。謙介が仕掛ける。正仁は離れない。

2人の併走は続く。併走は10kmを超えました。

21km。謙介が仕掛ける。急激なペースアップ。しかし、正仁は離れない。
謙介が、今度は手袋を取り、沿道に投げ捨て、2回目のスパート。

しかし、正仁はまったく離れない。

21.8km。正仁がスパート。腕の力強い振りに、高く上がる足。スピードアップは誰の目にも明らか。
謙介が半歩後退する。しかし、1mの差をキープする。

しかしここで、正仁はさらに加速。短距離走のような物凄い大スパート。

謙介がどんどん離れて行く。そして、22kmを過ぎてからは、差は開く一方でした。

そして、10区につなぐ中継所までの1kmで、
なんと17秒、距離にして約100mもの差がついてしまいました。
posted by 23book at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のスポーツをみて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。