2006年01月02日

●最後まであきらめない−箱根駅伝(6)

●2001年・第77回大会 〜 プレッシャー 〜

1986年の第62回大会の順大以来、15年ぶりの10区逆転劇。

順大は総合優勝10度のうち今回を含めて5度、復路で逆転しています。
しかも、前年9月の日本学生対校選手権(インカレ)、10月の出雲全日本選抜駅伝、
11月の全日本大学駅伝と合わせて、今年の大学タイトル4冠すべてを奪う、
史上初のグランドスラムを達成しました。

とはいえ、この箱根では、順大は、区間賞はわずか1人での優勝。
優勝チームとしては、戦後最小の区間賞。
土壇場の9区では、沢木監督の思惑が、1度は崩れた、苦しみ抜いた優勝でした。

対する駒大は、復路の7、8、9区で区間賞。本来ならば優勝できるはずだったのだと思います。

沢木啓祐監督は、レース後、ため息をつきながら、こう言っています。「出雲、伊勢と駅伝を取り、誰もなしえなかったことに挑戦したいと思った。
 しかし、気持ちがはやって、結果的には肉体的にも選手を追い詰めてしまった。

 全員が三代(OBで一昨年までのエース。現在は富士通所属)と同じ練習をしてしまったんです。
 結果として、筋肉の疲労は甘くなく、その疲労が一気に噴出してしまいました。

 今回は過去10回の優勝の中でも、最悪の選手の状況でした。メンバーがガタガタだった。
 中でも、10区間のうち、唯一の区間賞となった4区の野口は、原因不明の下痢で入院し、
 メンバーから外そうとまで考えていました。

 12月24日には、午前の練習で、もうこのままでは、メンバーを組むことさえもできずに
 終わってしまうと、私もフテ寝をしてしまっていた。

 でも、これではいかんと思い直して午後の練習にかけたんです。」
と。

 監督、ドクターが密着し綿密な検査を繰り返す順大には、
 本来、こうした調整の失敗は起き難いこと。
 
 しかし、その伝統をもってしても失敗しかけたのは、学生タイトル史上初の4冠という、
 大きな壁が目の前に現れ、立ちはだかったからに他なりません。

 そして、野口選手の調子は奇跡的に上向き、12月26日にやっと選手が揃いました。

そして、沢木啓祐監督は、更に、こう言っていました。

「戦う前には、今回区間賞は4つくらいは取れるだろうと望みをかけていたんですが、
 そうは行かなかった。
 だから、敢えて言うとするならば、うちが出血(ブレーキ)を最小限に食い止めたことが、
 勝因ではないかなと思います。

 9区で決める予定でした。
 しかし、駅伝は何が起こるか分からない。
そして、この日の10区での逆転劇。

 結局200キロもの距離に勝とうとするならば、
 最後の最後まであきらめちゃいかんというのが、しみじみ分かった
と。

百戦練磨の監督の口から、「諦めてはならない」と実にシンプルな言葉が。

また、レース後、謙介は、こう語っています。

「2年前は勝てるとは思っていなくて、自分の所で逆転できて嬉しくて、
 宮崎にタスキを渡す時に、
“頼むぞ、落ち着いていけば大丈夫だ”
 と声をかけました。今回は、祈るように“頼むぞ”と声をかけました

謙介は、更に、こう言っていました。

「欲というか、こうなったら何が何でも4冠と思わなかったわけではありません。
 そして、それが色々な意味でのプレッシャーとなって心身に影響した可能性はあると思います。
 悔いは残ります。

 でも、今回の優勝は一人のエースの走りではなく、
 みんながエース、みんなの力で勝った気がします。
 本当に優勝できてよかった。」 と。


そんなエースを、チームメートがねぎらい取り囲み、胴上げをしました。
ようやく、謙介の顔に笑顔が広がっていました。
posted by 23book at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のスポーツをみて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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