2006年02月13日

●優しさとと怒りと、情熱があふれる藤田元司監督−ご冥福を祈ります。

元巨人監督、藤田さんがなくなられました。

原監督が「親父」と慕う人です。


他にも、野球界のみならず、各方面から故人を偲ぶ言葉、
そしてそれを話す姿・表情を見ると、藤田さんという人は、
みんなに愛されていた、信頼されていた人だったのだことが分かります。

巨人の監督は、1974年に長嶋が引退した後は、
長嶋、藤田、王、藤田、長嶋、原、堀内、原と、
22年間で、5人しかいません。

この歴史ある巨人の、限られた監督の一人であった
藤田さんはどんな人だったのでしょう。

藤田さんは、選手時代はエースとして活躍され、
8年間で通算119勝。新人王、防御率2.20、MVP2回、最多勝1回。

監督としても、苦境に立たされたジャイアンツを、
通算7年でリーグ優勝4度、日本一2度に導いた名将。

就任した1981年に日本一に就きました。

1983年の広岡西武との日本シリーズは、サヨナラの連続でした。
本当に歴史に残る名勝負でした。

また、2度目の監督に就いた1989年の仰木・近鉄との日本シリーズは、
3連敗から4連勝の大逆転。
見事就任1年目で日本一へ導きました。

藤田さんが監督だった時の巨人の野球は投手を中心とした野球で、
先発投手は完投して当たり前。斎藤・桑田・槙原の3本柱を確立するなど投手を育成しました。

特に、ノミの心臓と酷評され、伸び悩んでいた斎藤投手をサイドスローに変え、
大投手に育てたのは藤田さんです。

また、第一次政権ので自らドラフトで引き当てた原を、
巨人の4番として使い続けたのも藤田監督
です。

他にも、吉村、駒田、岡崎、緒方、村田、川相など、生え抜きの選手を育て、
安易な補強に頼らならい、本当の意味で自力のある強固なチームを作り上げました。

「やってみせて 言って聞かせて やらせてみて 褒めてやらねば人は動かず」

を座右の銘にされ、

「誰だって怒られるよりは褒められた方が嬉しい。選手だって同じだ」と、
「選手を思いやる心を持って対応する」という信念を常に持ち、
辛抱強く起用し続け、名選手を育てました。

しかし一方で、一見穏やかそうに見える藤田さんも、
実は「瞬間湯沸かし器」と呼ばれるほど激昂家であったそうです。

「情熱があるから、本気になれる。その本気が選手に伝わる。」
シンプルではありますが、そんな思いの伝わるジェントルマンだったような気がします。

優しさとと怒りと、情熱があふれる藤田監督。ご冥福を祈ります。

■藤田元監督の本

「ドンを越えた男―「巨人軍監督」藤田元司・しんぼうに辛抱のリーダーシップ」

posted by 23book at 12:40| Comment(0) | TrackBack(1) | スポーツ本に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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平成元年(1989年)の巨人??前編??
Excerpt: 平成元年(1989年)は巨人??ヤクルト戦で開幕しました。中編・後編も御覧下されば、さいわいです。
Weblog: 徳田新之助ブログさすらい通信
Tracked: 2006-02-14 12:36
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