2006年04月10日

●魔女が繰り出す「魔法」 ・・・ ゴルフ「マスターズ」

経営者の方はゴルフが好き、というイメージがあります。

オフィシャルの場でしにくい商談などを進める意味もあると思いますが、
本当の理由はきっと「最後は自分自身との戦いになると」いうところに、
ひかれるからではないでしょうか。

相手がどんなに手強くても、
相手よりも優れた商品やサービスを提供すれば、顧客を獲得することは
できる。

逆に、自分がどんなに頑張っても、相手がそれを上回ることを
仕掛けられてしまった場合は、負けてしまいます。


つまり、「自分が努力する。結果を出す。」ということはできても、
「絶対に相手に勝つ」とは限らないのが、ゴルフであり、経営なのだと
思います。

今回は、「マスターズを創った男―球聖ボビー・ジョーンズ物語」を紹介します。


▼生涯アマチュアの伝説のゴルファーが創った「不朽の名作」
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 そんな「ゴルフ」の世界で、1年に一度、
 世界中を熱狂させる大会があります。

 初めてその大会をブラウン管を通じて見た時の驚きは忘れられません。

 まず、本当に美しい緑が豊かな、そして鮮やかなコース。
 大きな池の水に青々とした空が写り、輝く。
 そして、おおよそ他の大会では見ることがないような、グリーン場での
 ボールの動き。

 まるで「マジック」でも見ているかのようにボールが、
 突然加速したり、S字に大きく曲がったり・・・
 本当に「目が飛び出る」ほど、びっくりしたことを憶えています。

 このコースを創り、大会を創ったのはボビー・ジョーンズ。
 1930年、全米オープン、全英オープン、そして両アマタイトルの
 四大タイトルをすべて制覇し、史上初の「年間グランドスラム」を
 達成し、生涯アマチュアであり続け、28才の若さで引退した
 伝説のゴルファー。

 マスターズ・トーナメント

 そしてアメリカ・ジョージア州・オーガスタにある
 オーガスタ・ナショナルGCは、
 このボビー・ジョーンズが創った「不朽の名作」です。


▼何の変哲もない田舎町が「世界の中心」に
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 マスターズは、単なるトーナメントのひとつではありません。

 本当にこの「日」を待って、この「地」を求めて、世界中から数多くの
 選手が、このコースにやって来る。
 また、世界中から約300人のマスコミがやって来る。
 そして、パトロン。ここではこう呼ばれるギャラリーが、10万人以上も
 やって来ます。

 町では、学校は休校。会社も休業。
 そして、町からおよそ2500人もの人々が、この大会のためにボランティア
 を行ないます。

 普段はなんの変哲もない、静かな深南部の田舎町。
 この田舎町が、毎年四月、マスターズ・ウィークと呼ばれる1週間は
 「世界の中心」となるのです。


 マスターズには超一流の仲間入りをして、ようやく招待されます。
 「マスターズの招待状を受け取らないということは、世界から
 1週間追放されたようなものだ」とさえいわれます。

 世界中のトッププレーヤーが
 「優勝者のみに与えられるグリーン・ジャケットを着たい」と
 特別な思い入れをもって乗り込んできます。

 つまり、マスターズは、野球でいえばワールドシリーズ、テニスなら
 ウィンブルドンのようなものなのです。

 過去に6回優勝しているジャック・ニクラウスですら「足が震えてしまう」 といいます。

 そして、こんな色とりどりの花が咲き乱れる緑のオーガスタには
 「魔女」が棲んでいます。

 その魔女が作り出す「魔法」。
 それは時に、「奇跡の逆転」を生み、人々を感動させます。


▼「マスターズ」が仕事に活きるポイント
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 ★うちの会社はダメだ、と決めつけていないか?
 
 マスターズが毎年行われるオーガスタは、普段はよくある田舎町です。
 その町が1週間だけ熱狂的な場所に変わる・・・ 

 今の会社やチームを振りかえると、「所詮うちは他にもよくある会社や
 事業部だ」と自分の中で判断し、最初からお客様に感動してもらえる
 商品やサービスは産み出せないと決めつけていませんか?

 マスターズが行われるオーガスタ・ナショナルGCも、最初から順風満帆
 ではなく、資金面でも相当の苦労があったといいます。しかもオープン
 当初は酷評にあったともいいます。

 そうしたつらい状況を、ボビー・ジョーンズや仲間たちが「想い」を
 もって、着実に少しづつ作り上げていったのです。
 
 え?「うちにはボビー・ジョーンズがいない?」

 上司や経営陣に過剰な期待をせず、
 自社の可能性を信じ、日々の仕事を何とかしたいと感じている
 皆さん自身が、「ボビー・ジョーンズ」の役割を演じればいいのでは
 ないでしょうか。 


▼おすすめの本 −マスターズを創った男―球聖ボビー・ジョーンズ物語
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ゴルフは「楽しむもの」というのがジョーンズの終生変わらない
 基本的な考え方だったようです。

 英米の名だたるコースでプレイしたジョーンズは自分の理想のゴルフを、
 マスターズが行われている「オーガスタ・ナショナルGC」で
 形にしました。

 設計のコンセプトは非常に明快で、

 ・優れた名プレーヤーでも、たえず自己の技術向上に励むような、
  興味のつきないコースにしなければならない

 ・下手なプレーヤーでもビギナーにも愉快のラウンドでき、
  しかもどんなスコアを出してもまたプレーしたくなるように
  アレンジしなければならない


 このコースの設計のコンセプトを読んだとき、自分のチームの仕事の
 進め方もこうでなければならないな、と感じました。

 仕事の上手な人だけが活躍し、下手な人をおいてけぼりにしてしまうので
 はなく、どんなレベルの人も意欲的に取り組めるようにしなければ・・・
 
 仕事の進め方の設計は、ゴルフコースの設計と共通する部分が多いと
 思います。

 今のチームの仕事をやり方を変え、
 ベテランも新人も、仕事の上手な人も下手な人も、みんな意欲的に
 チャレンジして、力をあわせて成果を出す、
 そんな仕事を流れを作りたいと思っている方に、ヒントになる一冊です。

 時間がない方は、「第4章:マスターズの誕生と伝統」の部分だけでも
 読んでもらえるとうれしいです。

 「マスターズを創った男―球聖ボビー・ジョーンズ物語」
 杉山 通敬 (著)
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2006年03月19日

●やっぱり「技あり」が面白い -大相撲春場所に学ぶ

最近毎晩大相撲ダイジェストをみるのが習慣になっています。

久しぶりにじっくり相撲をみましたが、面白い。
WBCも盛り上がっていますが、大相撲も目が離せません。

楽しませてくれているのは、外国人力士。

少し前の外国人力士はあまり技がなく、ほとんど押し出しや
寄りきりで勝ってしまう、少しものたりない相撲でしたが、
最近の外国人力士は違います。「技あり」です。

モンゴル出身の「朝青龍」の気迫こもる取り組みをはじめ、
最近ますます貫禄がでてきた「白鵬」、
細身ながらいろいろと技を繰り出す「安馬」、
そして足を怪我しながらも魅せてくれる「琴欧州」など・・・

日本人力士に今ひとつ魅力がないのは寂しいですが。


「相撲のおもしろさ」が「技を繰り出す」ことにあることを
最近やっとわかりかけてきました。



ふと思うと、ビジネスの場面でも、資産にものをいわせて
「いくらで買収した」という話より
「みんながまっていたこういうサービスをはじめました」という方が、
その会社の魅力を感じるように思います。


日々の仕事にも、「技あり」なアイデアを繰り出しながら、
取り組みたいと思います。
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2006年02月25日

●荒川選手、おめでとう!

2006年2月24日午前5時20分。

もちろん起きて見ていました。
トリノ女子フィギュアスケート。


先ず、安藤選手が演技へ。

期待の4回転ジャンプは失敗。

その後も、何回も挑むジャンプが決まりませんでした。

しかし、最後まで演技をした安藤選手の顔は、
どこか穏やかな、ほっとしたような表情だったような気がします。

十八歳の女子高生は『滑りたくない。自信がない』と泣いて、
不安で一杯だったオリンピックで、

『自分には、世界で自分にしか与えられていない、
オリンピックで四回転ジャンプにチャレンジできる資格があるという誇り』


を胸に、やり切ったんだと思います。

しかし、日本人トップバッターの安藤選手の得点が伸びなかったことで、
『荒川選手、村主選手、大丈夫かなー』と、少し不安になりました。

そして、最終組。あと五人の演技を残すばかり。

トップバッターは、ショートプログラムでトップのコーエン選手。
しかし、最終のコンビネーションで、まさかの転倒!

その後は持ち直し、トップに踊り出ました。

そして、クールビューティー、荒川選手の番です。
引き締まった、気合いの入った、怖いくらいの顔でリンクに現れました。
日本人で一番メダルに近い荒川選手の登場に、
期待と、そして『転倒しないで』という願いが大きくなります。

リンクの中央に着いた荒川選手が、『息をつきました』。⇒続きを読む
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2006年02月24日

●気合のこもったことばを自分自身のことばで話す−女子カーリングチーム

女子カーリング。

惜しくも決勝進出が果たせませんでした。
日本での競技人口は、わずか2500人。

競技場も全国でたった9箇所。

しかし、そんな日本女子カーリングチームが今回のトリノでは、
長野の金メダルチーム・カナダ、
ソルトレークの金メダルチーム・イギリスといった、
カーリング強豪国を破っての、大健闘であったことは間違いがありません。


日本のスキップ・小野寺選手がストーンを投げる。

ゆっくりゆっくり、ストーンが氷上を進んで行く。
カーリングに長けたはずの解説者も、どうなるか分からない。
このなんとも言えない間が、見る者をハラハラさせます。

決して、スピーディーな展開ではないカーリング。

作戦を立てている時間、ストーンが進んでいる時間は、
ゆっくりしているカーリングですが、
その「行間」の「時間」の密度の濃さを感じさせるカーリングが、
日本中をドキドキさせてくれました。

小野寺選手の、顔が目に焼きついています。


奇跡の準決勝進出へとスイスに挑みましたが、
最後の最後は、スイスに11対5で、負けてはしまいました。


でも、日本代表選手は、
●「マイナーなスポーツだけれど、誇りを持っている」
●「人生を懸けて来た」
●「これでカーリングが日本に普及してくれるのなら、本当に嬉しい」
と、試合後、涙ながらに、しかし堂々と語っていました。

試合直後に、本人が一番悔しく泣いている時のインタビューです。


平均年齢23歳の日本の女の子が、
心の底から「誇り」「人生」「日本」ということばを話している。


このインタビューに、もちろん「台本」はありませんでした。
本人たちは、「練習」をして、答えていたわけではありませんでした。

つまり、この「カーリング娘たち」が「本当に心に思っている」からこそ、
出てきた「言葉」だったわけです。


けなげじゃないですか。
謙虚じゃないですか。
慎ましいじゃないですか。
泣けてくるじゃないですか。

日本も捨てたもんじゃないです!

この「おごらない、小さな心」が、
この何か煮え切らない感じの残る、
トリノオリンピックの中で、
大きく輝いたような気がします。

「命をかける」「使命感を持つ」

このことほど、力を生む、感動を伝えるものはない、と
あらためて感じ入った、そんなカーリングでした。


日本女子カーリングチーム、ありがとう。
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2006年02月23日

●キャラクターを活かして、がんばって欲しい!−トリノ・フィギュアスケート

今回のトリノオリンピックでの最大の目玉競技。
女子フィギアスケートが始まりました。

村主、荒川、安藤の日本代表3選手。

それぞれが、個性的です。
そして、3選手とも、調子はいいということです。

最年長の村主選手。
「競技者である前に、表現者でありたい」


元世界チャンピオンの荒川選手。
「得点や順位よりも、楽しく美しいスケートがしたい」


世界初の4回転ジャンパーの安藤選手。
「オリンピックで出られるだけで誇りの持てること。4回転に挑戦したい。」


三者三様のコメントです。

この3選手が、ショートプログラムを終え、
荒川選手が3位、村主選手が4位、安藤選手が8位と、
3選手とも、トップレベルでの戦いを繰り広げています。

明日の深夜。
いよいよ、最終演技のフリーが行われます。

アメリカのコーエン、ロシアのスルツカヤに挑み、
今大会初の、表彰台を期待しています。

がんばれ、ニッポン!!






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2006年02月08日

●みんなへの「恩返し」の気持ちが強くする−トリノ・村主選手に学ぶ

フィギュアスケート日本代表の村主章枝選手は、
異色の日本代表だと思います。


昨年から話題の中心だった浅田真央選手が、
15歳で世界一になっていることからも、フィギュアスケートは、
若い内から選手としてのピークを向かえることが分かります。

そして、その背景には、3歳や小学校の低学年の頃から、
10年〜15年練習を続けて来た結果であります。

しかし、村主選手は1980年生まれの25歳。
フィギュアスケートの選手としては遅く、
小さいことからスケートをはじめたものの、
フィギュアスケートの選手として本格的にはじめたのは、
中学生から。

10代で世界のトップの仲間入りをする選手が大半を占め、
20代前半でベテランと呼ばれるフィギュアスケート界の
他のスケート選手に比べて、遅いスタートでした。


こんな村主選手は、2002年、2003年の世界選手権で、
連続して3位という成績を残すなど、スケートを始めて10年足らずで、
素晴らしい成績を残すまでになったことは本当に素晴らしいと思います。


この村主選手の練習は『世界一の練習量』だそうです。


しかし、トリノ五輪では、代表の枠は3つ。
この3つの椅子を、世界最高の選手層を誇る日本フィギュアスケート陣と争い、
勝ち抜かなければ、トリノには行けません。


そして、その最後の争いの舞台となったのが昨年末の『全日本選手権』。

この大舞台で、村主選手は素晴らしい演技を披露します。
特にその表現力は世界一と言われ、会場の観客を魅了しました。
感動し、興奮した観客は総立ちとなります。

そして結果は、見事優勝。
同時に、トリノへの切符を勝ち取ります。


しかし、日本を代表する選手となった村主選手ですが、
そのコメントは、いつもやけに謙虚です。

『見に来て下さっている方々〜』
『応援していただいている方々〜』
という言葉など、必ず『いただいている』という感謝の気持ちが
伝わってくるインタビューです。



そして、トリノに向けて、今発売中のナンバーで、
このように言っています。

『日本の代表として、参加させていただくわけですから、
 しっかりと滑らなければならない。
 メダルを取ることで、みなさんに喜んでいただけるのであれば、
 メダルを取ることで、みなさんに恩返しがしたい』と。



村主選手にとっては、『日本代表』というのは、
『勝ち取った』ものではないわけです。
『いただいたチャンス』なんです。


日本のお茶の間では『お茶が入りましたよ〜』なんて言葉が普通でした。
しかし、今では『お茶を入れたよ〜』というように言葉が変遷しています。
それは、『お茶』は『自分が入れる』ものではなく、
『お茶に入ってもらう』ものなのだ、という心の表れからです。


この心と同じ、あったかい日本人的なものが、村主選手から感じます。
何か『わび・さび』的なものを感じるその表情。

是非、その心のまま、がんばって欲しいと思います。
そんな村主選手を、日本のみんなは応援しています。

そして、『みんなへの恩返し』のみならず、

『自分へのご褒美』として、

トリノ五輪を楽しんで欲しいと思います。


村主選手の活躍を信じています。
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2006年02月02日

●新監督の挑戦はいかに? − ヤクルト古田監督

古田監督、スタートしました。

キャンプ初日は、みんなで玉拾いをするなど
チーム一丸となってスタートしました。

石井、高津とメジャーリーガーを迎えることができた古田・ヤクルト

その人望が勝利に結び付くのか、見物です。
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2006年01月19日

★女子スケート荒川選手に、大企業の再生のヒントを学ぶ

先日のNHK特集「女子フィギュア“レベル4”への挑戦」で、
新採点法をめぐる、荒川静香選手と安藤美姫選手との苦闘
特集されていました。

ベテランで、自分の「理想のすべりの型」をもつ荒川選手と、
新採点法で高得点を稼げる「ジャンプ」という武器をもった安藤選手。


少し、普段の「ビジネス」という視点でみると、

荒川選手は「勝ちパターンをもった大企業」

安藤選手は「時代の寵児的なベンチャー企業」


というようにもとれました。

安藤選手の苦闘は、連日のマスコミ報道でとりあげられていますが、
必死に自分の型を守りながら、新しい新採点法に
マッチさせようとする荒川選手の姿に、なんか「勇気」がわいてきました。


どれだけ、自分の理想とする型で勝つのが難しいか。

普段のビジネスでも、「自分のやりたいこと」と、「市場のニーズ」との
板ばさみ
になることも多いのではないかと思います。

荒川選手の「笑わない表情」には、その苦悶がみてとれました。

また、コーチをかえて、勝負に臨む姿は、
時代に取り残されそうな大企業が、新規事業を取り仕切る優秀なマネージャーを
畑違いのところから起用することにも似ている気がします。

そんな荒川選手が、トリノではどんなすべりをみせてくれるのか、
今から予習しながら待とうと思います。

今週発売の「VS. (バーサス) 02月号」で、選手を特集しています。



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2006年01月17日

●たった一言がよみがえらせた「夢」−箱根駅伝・亜細亜大 山下選手

昨日、テレビで『もう一つの箱根駅伝』を見ました。

内容は、箱根駅伝の裏話です。
監督、選手、いろいろな人が取り上げられていましたが、1番印象に残ったのは、
亜細亜大学の三年生の山下選手です。


亜細亜大学は、今年の箱根駅伝で、出場29回目にして初優勝!
そして、復路九区で五連覇を狙うトップ駒大を見事な走りで追い抜き、
優勝へと繋げたのが、山下選手です。
九区の区間賞
となる快走でした。

しかし、この山下選手。
昨年の前半は、怪我に泣かされ続け、まともに走れなかったそうです。
そして、その気真面目な性格からか、『もう走れない。もう駄目だ』と思い、
黙って寮を出てしまったそうです。

普段であれば、週に、二度三度、両親に連絡する山下選手も
その時は『陸上を辞める。いろんな方に応援して貰っているのに申し訳ない。
もう顔向けできない。学校も辞めて就職する』というメールが送られて来たっきり、
両親も連絡が取れなくなってしまいました。

その後、何とか実家に戻った山下選手でしたが、その時の息子を見て、お母さんは、
『近くについていないと、どうなってしまうか、分からなかった』と思うくらい、
雰囲気や顔がいつもと違ったそうです。

そんな山下選手にお父さんはこう言います。
『陸上を辞めたかったら、辞めてもいい。でも、後悔をするのだけはやめろ』と。

その一声が山下選手の心に火を付けたのです。
亜細亜大の監督、選手は『絶対戻って来る』と信じていました。

『心がリフレッシュさえすれば、あれだけ走ることが好きなんだから』と
考えていました。

一度は諦めた『夢』を『たった一声』が生きかえらせてくれました。
そして、最高の結果となりました。

やはり『親父』は偉大です。おめでとう、山下選手!
posted by 23book at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のスポーツをみて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月15日

●ママで「金」ぜひ女子バレー大友選手も。

B000AHQFZC.01(大友).jpg日本女子バレーの大黒柱、大友選手(23)ができちゃった結婚です。

本当は「できちゃった」のか「できてもいい」と思っていたのかは分かりませんが・・・

でも、二人の間に、愛があったから生まれてくるお子さんに間違いはありません。

お相手は、同じバレーボール選手で29歳。
二人の出会いは去年の5月。
それから交際が始まり7ヶ月、
年末に「子供ができたかもしれない」と
感じたそうです。

そして、現在、妊娠二ヶ月とのこと。

正に「速攻」ですね。
やっぱり、「速攻」は、度胸がある人が得意なようです。



しかし、びっくりしました。だからなのか、
はたまた、自分の人間性が低いのか、
「おめでとう」と思う持ちより先に、
「えっ!じゃー、柳本ジャパンはどうなっちゃうの?」と、
大友選手のお腹の中の赤ちゃんより、
日本がどうなってしまうのかが、気になってしまいました。

大友選手の、世界初の「バックブロード攻撃」が見れないと思うと・・・。(大友さん、ゴメンナサイ。)

このまま「引退」となってしまうかもしれないと、
言われていますが、海外では「ママさん選手」はたくさんいます。
日本にだって、「ママでも金」と宣言している、
柔道の谷選手がいます。


出産・子育てという「大試合」を向かえて、そして乗り越えた大友選手が、
「人間的に一段と成長する」ことは間違いありません。

そして是非、コートに帰って来て、
幸せそうな顔を見せて欲しいと思います。

そして、スポーツにも、仕事にも、
結婚も、出産も、子育ても、「プラスになる」ということを、
日本に伝えて欲しいと思います。


大友選手、決して友達ではありませんが、
無事の出産、そして二人の幸せを祈っています。

そして、出産してからでいいので、
コートに帰って来ることを、
是非、考えて欲しいと思います。
きっと、柳本監督もそう思っているのでは・・・?



posted by 23book at 02:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 最近のスポーツをみて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月10日

●「チャレンジ精神」を、4連覇を狙う柔道野村に学びたい。

柔道・野村が「4連覇」に向け、現役続行とのこと。
うれしい限りです。
この知らせをまってました

いつまでも少年のような笑顔と、いつまでも錆びない技術で
チャレンジを続けて、ぜひ楽しませて欲しいです。

私もほぼ同い年なので、なんだか励まされます・・・

「やっぱりすごいなー かなわないな」という気持ちと、

「同じ年の人ががんばっている。だから自分ももっとがんばれるはずだ」


二つの気持ちがあります。

ぜひ金メダル、というよりは、
楽しんで柔道やってもらえるとうれしいです!






posted by 23book at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のスポーツをみて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月05日

●無名の選手を叩き上げた「亜細亜の親父」−今年の箱根駅伝のドラマに学ぶ

箱根駅伝は、今年もドラマがありました。
まさか、まさかの、亜細亜の優勝。

順大も、駒大も、がんばっていたんだけど、亜細亜の大逆転!
勝因は、「故障者と不調者がいなかったこと」です。


最初、亜細亜の監督に就任した当初は、選手から
「前監督を追い出したと言う誤解」を持たれ、
チームが崩壊しそうになりました。

しかし、そんなどん底の状態からの、見事なチーム作りでした。

今では選手から、
「監督の言葉には力がある」
「厳しい練習をすれば、自分が成長できるということが分かった」

と言われているそうです。

「決して一流ではない、飛び抜けて速い訳ではない無名の選手」を叩き上げ、
「安定した、強い選手」に育て上げた「亜細亜の親父」。


おめでとうございます!
posted by 23book at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のスポーツをみて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月02日

●タスキをつなぐ−箱根駅伝(7)

駅伝は「走る⇒繋ぐ」という単純なスポーツ。

「走る」というのは、孤独との闘い。

もちろん「誰かに勝つ」という目標はある。
でも、結局、走るのは自分。自分に勝たなくてはいけない。
また、いくら頑張ったって上手くいくとは限らない。アクシデントもある。

更に、後から来た奴に抜かれ、「仕方ないな、あいつの方が実力あるし・・・」と、
自分の力を思いっきり自覚させられ、悔しい思いもする。

「繋ぐ」というのは、責任との戦い。
一本のタスキという布に、何十人もの気持ちが詰まっている。
このタスキをつなぐことが、自分の使命。

でもある一人が強くて、実力があったとしても、必ず良い結果出るとは限らない。
チームの力が結集した時の方がいい結果につながる場合がずっと多い。
第77回大会の順大のように、区間賞を取ったのは一人だけでも優勝につながる。


箱根駅伝は、あらゆる学生スポーツの中でも破格のイベントです。

正月の早朝から完全生中継で放送され、群を抜く高視聴率を記録します。
往復200キロを超える沿道には、百万人ものファンが駆けつけます。

ランナーが自分の前に現れるのは一瞬であるのにもかかわらず、
多くの人が訪れ、その一瞬のために長い時間、ランナーが走ってくるのを待っています。
箱根駅伝には人の心を引きつける、何かがあるのです。

箱根駅伝は、最高峰と呼べる大会となりました。

しかし、そうしたレベルになくとも、
いつでも変らないのは「心意気」であって欲しいと思います。
限られた時間に競技にかけた泥くさい気持ちであって欲しいと思います。

さて、今年はどんな展開となるのでしょう?



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●最後まであきらめない−箱根駅伝(6)

●2001年・第77回大会 〜 プレッシャー 〜

1986年の第62回大会の順大以来、15年ぶりの10区逆転劇。

順大は総合優勝10度のうち今回を含めて5度、復路で逆転しています。
しかも、前年9月の日本学生対校選手権(インカレ)、10月の出雲全日本選抜駅伝、
11月の全日本大学駅伝と合わせて、今年の大学タイトル4冠すべてを奪う、
史上初のグランドスラムを達成しました。

とはいえ、この箱根では、順大は、区間賞はわずか1人での優勝。
優勝チームとしては、戦後最小の区間賞。
土壇場の9区では、沢木監督の思惑が、1度は崩れた、苦しみ抜いた優勝でした。

対する駒大は、復路の7、8、9区で区間賞。本来ならば優勝できるはずだったのだと思います。

沢木啓祐監督は、レース後、ため息をつきながら、こう言っています。>さらに続きを読む
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2005年12月31日

●壮絶な掛け値ない勝負−箱根駅伝(4)

●2001年・第77回大会・復路 〜 9区、壮絶・逆転 〜

1999年順大、2000年駒大が優勝し、迎えた2001年第77回大会。

ここでも、順大と駒大の歴史に残る名勝負が繰り広げられます。

「復路の順大」は、復路のスタートの6区で、
宮井将治選手(4年)が中大を抜いて首位に立ちます。
この時点で、ライバルの駒大には3分8秒の差をつけています。

しかし、7区では駒大との差は2分47秒と縮まり、
8区では、駒大との差は27秒にまで接近します。

しかし順大は、勝負の山場となったこの9区にエースを投入していました。2年前、駒大との対決の場となったこの9区で大逆転の快走をした、
エース高橋謙介選手(4年)を投入していたのです。
「高橋で勝負を決める」と沢木監督は考えていたのです。
>さらに続きを読む
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●迷える名将は選手に救われる?−箱根駅伝(3)

●1999年・第75回大会・往路 〜 9区、復活・逆転 〜

一方、順天堂大学。

1993年の第69回大会では、2区で、順大のエース・本川一美が右足疲労骨折。
何とかタスキは繋いだものの、区間最下位の大ブレーキで、総合9位。

1995年の第71回大会では、10区のアンカー・浜野健が左足疲労骨折。
そのままリタイア。そして、33年ぶりのシード落ち。

沢木監督は「私の練習法も古いのかな」と感じたそうです。

なぜこうまで、「大切な大会」に向かっているのにも関わらず、
ここまで「疲労骨折」が起きてしまうのでしょうか?
>さらに続きを読む
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●自分のコントロールすることを学ぶ − 箱根駅伝(2)

●1992年〜1998年・第68回〜第74回大会 〜 新旧交代(2)〜 

また、同じく、順大の4連覇以降では、神奈川大学の躍進に目が止まります。
神奈川大学を率いていたのは、
山梨学院の上田監督同様、30歳そこそこだった大後栄治監督。


1989年、17年間箱根から遠ざかっていた神奈川大学に、大後はコーチは就任しました。
就任1年目の1990年の第66回大会では、予選会から参加。
就任3年目の1992年の第68回大会では、18年ぶりの本戦出場を果たし14位。
そこから8位、7位、6位と一歩ずつ、しかし確実に歩みを進めて行きました。
しかし、次の1996年の第72回大会。

当日4区を走る予定だった高嶋選手は2週間前から左足に違和感を感じ、
1週間前からは痛みも出ていました。

本人は「疲労骨折かもしれない」と思ったそうですが、
トレーナーは「疲労骨折ではない」と判断。

そして、レース前日。
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2005年12月30日

●勝負に純粋な「名将」に学ぶ − 箱根駅伝(1)

毎年幾多のドラマが生まれる、正月の風物詩として名高い箱根駅伝。

お正月の1月2日・3日に、合計10区間216.4kmで行われる、日本を代表するスポーツです。
「どうしても箱根を走りたい」という若者も少なくありません。

こんな箱根駅伝は、とても距離の長い駅伝で、しかも丸々2日間に渡るレースゆえ、
毎年、多くの「驚き」を与えてくれます。

その中でも、忘れられないチームの一つが「順天堂大学」です。

「名将」沢木監督の元、1981〜82年の第57〜58回大会では2連覇。
1986〜89年の第62〜65回大会では4連覇の黄金時代を築きました。

“沢木マジック”とも言われる箱根での順大の復路での大逆転劇は、
ドラマに満ち溢れています。


4連覇の最初の第62回大会では、2区で10位、5区で5位、往路が終わって6分32秒という大差。
10区にタスキが渡った時点でも2分6秒の差がありましたが、これを逆転しての大逆転優勝でした。

この年からの2〜4連覇の立役者となったのが、順天堂大学の山田和人さんです。

山田さんは、新潟の高校を卒業し、自衛隊に入隊。
しかし「どうしても、箱根駅伝で走りたい」という、箱根への夢・思いが捨てきれず、
新聞配達などのアルバイトをしながら、2年間の浪人生活の後、順天堂大学に入学。

そして、この「3連覇」の間で、毎年「区間賞」を取り続け、優勝に貢献しました。

しかし、そんな沢木監督率いる順大も、あの4連覇以来、頂点から遠ざかることとなったのです。
>さらに続く
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2005年12月21日

★個性をひきだす名手を感じる − 仰木監督の想いをキヨがひきついで

清原選手がオリックスに入団することになりました。

故仰木前監督からは、今年も、そして去年も、
「地元大阪で」という思いに応えた形になりました。

この清原選手の思いは仰木監督には届いたのでしょうか?


なぜか、清原選手の周りには「熱い人」が集まります。

野茂投手は、かつて近鉄時代にこう言っていました。
「清原さんだけ、バッターボックスで大きく見える」と。

今では、西武の松坂投手も同様のことを言っています。


一流投手にこう言わせる何かが清原選手にはあるのです。


そんな清原選手に、野茂投手は、
誰が見ても分かる「直球勝負」を挑み続けました。

そしてその野茂投手の気合に応えて清原選手も「フルスイング」。

「やるか、やられるか」の真剣勝負。

この対決を見ていた仰木監督は、「面白いじゃないですか」と言っていました。
結果に対して全責任を負っていたのにも関わらず、
決して野茂投手に、「相手の逆を突け」という指示は出しませんでした。

こんな姿勢の仰木監督だからこそ、数多くの「日本初のメジャー選手」を
産み出したのではないでしょうか?

野茂、イチロー、長谷川、吉井、など、
個性派で一流選手が粒ぞろいです。


野茂は、入団し、野球関係者に、
「そんなフォームじゃあ、コントロールが定まらない」「盗塁をされまくってしまう」
など、フォーム改造を指導されますが、仰木監督は、そのままのフォームで投げ
ることをよし
としました。

そして、入団して5年連続最多勝を記録し、メジャーでは2度もノーヒットノー
ランを達成しました。

イチローは、仰木監督が就任する前年には、「二軍行き」を命じられていたのに
も関わらず、仰木監督は就任するや、「この選手は、ものになる」と、
登録名も「ICHIRO」と変更させ、「レギュラー」として起用します。
そして、その年に「日本最多安打記録」を達成。

そして昨年は「メジャー最多安打記録」を更新という活躍ぶりです。


なぜ、こうも仰木監督は、「選手を発掘・育成」できるのか?

仰木監督はこう言っていました。

「選手を育てることはできない。

できることは、活躍できる場を与えることだけだ」と。


どれだけ、その選手の個性を活かして、イキイキと働いてもらうか。

仰木監督はいつも、「チームがあって、選手がある」のではなく、
「ファンがあって、選手がいる。選手があって、チームがある」という、
気持ちが伝わって来るチームを作ってくれたように思います。
「みんなが一緒の気持ちになれるチーム」を。

先日も書いた、「10.19」

この時の仰木監督の率いた近鉄バッファローズは、
正に「日本を動かしまたチーム」だったように思います。

その年の10月19日、近鉄対ロッテの最終戦。

それを放送していたのは関西朝日放送でしたが、
その時のテレビ朝日の編集局長は、仕事帰りに飲んでいる店で、
近鉄が粘りに粘っている状況を見て、21時からのドラマの放送予定を
15分間遅らせることを決定し、飲み屋から指示を出しました。


更に21時30分まで延長することを決定。
ついには、ドラマの放送予定を中止し、しかもCMを飛ばしての放送を決定。
しかし試合は22時になっても終わらず、久米宏のニュースステーションの時間
にも突入しましたが、久米宏が

「川崎球場ではとんでもないことになっています。このまま野球中継を
 延長します。」
と語り、そのまま生放送を続けました。

しかし、近鉄の優勝は、幻に終わりました。

その時の最高視聴率は、何と59%。
日本中が、「仰木近鉄」に釘付けになった夜でした。

その様子は、
最終戦 10.19 川崎球場[ビデオ]や、「Sports Graphic Numberベスト・セレクション〈2〉 文春文庫PLUS」スポーツグラフィックナンバー (編集)で感じてもらえます。

多くの選手を、多くのファンを引きつけて止まなかった
仰木監督の思いを引き継ぎ、
清原選手はきっと来年、日本中を湧かせてくれるに違いありません。


今から松坂投手との「真っ向勝負」に胸が躍ります。

ガンバレ、キヨ!!
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2005年12月16日

●仰木監督に仕事の原動力をもらいました。ありがとうございました。

親友と酒を飲むと、必ずといっていいほど、
話す10.19の話を。

仰木監督のご冥福をお祈りします。

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1988年10月19日。

それは、野球ファンであれば、誰しもが知っている一日ではないでしょうか


俗に、「ジュッテンイチキュウ」というその日は、
今年、球団としての幕を閉じた近鉄が、
ニュースステーションを通して、全国放送をされた日であることを、鮮明に憶えています。

あの弱小球団近鉄が、当時、憎たらしいくらい強すぎる西武を超え、パリーグを制覇できるか
どうかが決まる最終戦でした。●さらに続きます
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